皆さんは最近NHK大河ドラマ「どうする家康」をご覧になりましたか?徳川家康が再び注目を浴びているこの機会に、彼の歴史と深い関わりがある遺跡を訪れてみませんか?今回は、「どうする家康」の視聴者が実際に徳川家康の足跡を辿る小旅行に行きたくなるような、徳川家康ゆかりの遺跡5選をご紹介します。徳川家康のパワーを手に入れるチャンスですよ!

ぴえん

NHK大河ドラマ「どうする家康」で最近改めて徳川家康が注目されているね!私も徳川家康大好き!徳川家康にあやかりたいのでパワースポット的な遺跡を教えて!

さくら

徳川家康ゆかりの遺跡を5ヶ所紹介するね!徳川家康のパワーを手に入れるのだ!

駿府城

Important role as a key point for governing Tokaido and Suruga Province
東海道と駿河国を統治する要所として重要な役割

駿府城は、静岡県静岡市に位置する歴史的な城で、戦国時代から江戸時代にかけて織田信長、徳川家康、徳川家光など、名だたる武将たちがこの城を支配しました。この城は、東海道と駿河国を統治する要所として重要な役割を果たしました。

城跡は、現在も静岡市の中心部に残っており、駿府城公園として整備されています。公園内には、徳川家康が築いたとされる天守閣跡や石垣、堀、御殿跡などが残されています。また、家康が命じて築かれたとされる遺構「駿府城小天守石垣」が近年発掘調査で発見され、公開されたこともあります。この小天守の石垣は、駿府城最古の石垣とされており、その歴史を感じさせる重厚な雰囲気があります。

駿府城跡を訪れると、徳川家康が築いた城の規模や、当時の政治・軍事上の重要性を実感することができます。また、城跡周辺には歴史的な建造物や文化財が数多く点在しており、徳川家康ゆかりの地を存分に味わうことができます。例えば、駿府城跡一帯は「駿府城公園」であり、家康の銅像が立っています。

駿府城跡を訪れた際には、徳川家康の歴史や功績に触れることができるだけでなく、美しい日本庭園や周辺の観光スポットを楽しむことができます。そのため、歴史好きはもちろんのこと、家族連れや友人同士の旅行にもおすすめのスポットです。

2023年1月に新たな展示施設がオープンしています。施設は世界的設計事務所SANAAの設計です。

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関ヶ原古戦場

The place where the eastern army led by Tokugawa Ieyasu and the western army led by Ishida Mitsunari clashed.
徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した場所

関ヶ原古戦場は、1600年の関ヶ原の戦いが行われた地で、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した場所として知られています。この戦いは、江戸時代初期の日本の政治的・社会的構造に大きな影響を与える歴史的な一戦であり、現在は岐阜県不破郡関ケ原町付近に位置しています。

関ヶ原の戦いは、豊臣秀吉の家臣・石田三成が率いる西軍に対抗するため、徳川家康が東軍を結成し戦ったものです。この激戦の末、徳川家康は勝利を収め、日本の実質的な支配者となりました。これによって江戸時代が幕を開け、江戸幕府が誕生しました。

現在の関ヶ原古戦場は、国の史跡に指定されており、多くの観光客や歴史愛好家が訪れています。古戦場をより深く知ることができる施設として、岐阜関ケ原古戦場記念館や関ケ原町歴史民俗学習館が設置されており、多くの人々が歴史を学び、感じることができます。

また、毎年10月には、関ヶ原合戦祭りが開催されています。この祭りでは、壮大な歴史戦闘イベントが行われ、多くの刀剣ファンや歴史好きが関ヶ原の戦いを偲んで祭りを楽しんでいます。関ヶ原古戦場は、日本の歴史に興味がある方はもちろん、家族や友人と訪れる観光スポットとしてもおすすめです。

2020年に新たな展示施設がオープン!館長は戦国時代に関する研究で知られる小和田哲男先生!

高天神城跡

Ruins of castles built by the Imagawa clan
今川氏によって築城された城郭遺跡

高天神城跡は、静岡県掛川市にある、かつて今川氏によって築城された城郭遺跡です。築城時期は不明ですが、永正10(1513)年以前から、今川氏の家臣である福島氏が城主として機能していたとされています。

永禄3(1560)年の桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、今川氏の遠州地域における勢力が衰え、徳川氏や武田氏の勢力が台頭しました。永禄11(1568)年に高天神城は、城主である小笠原氏とともに徳川氏の配下となり、その後の掛川城攻めや姉川の戦いで活躍しました。

元亀2(1571)年、武田信玄が大軍を率いて高天神城を攻めるも、実際に戦闘が起こることなく通過しました。この出来事により、高天神城は難攻不落の城として名高くなりました。しかし、天正2(1574)年5月に武田勝頼が攻め込み、長期の籠城戦の末、6月に落城し、武田氏の支配下に入りました。

徳川氏は高天神城を奪還するため、天正2年8月に馬伏塚城(現浅羽町)、天正4(1576)年に横須賀城(現大須賀町)、天正7(1579)年から8年にかけて高天神六砦を築き、高天神城への包囲網を構築しました。その後、徳川氏は徐々に包囲網を狭め、高天神城への攻撃を続けました。

最終的に、天正9(1581)年3月に高天神城は徳川氏によって奪還されましたが、その後は城として使用されず、廃城となりました。現在の高天神城跡は、歴史に興味を持つ観光客や地元住民に親しまれる観光スポットとして、その姿を残しています。

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江戸城跡

Large-scale expansion and improvement during the reigns of Hidetada Tokugawa, the second shogun, and Iemitsu Tokugawa, the third shogun.
二代目将軍徳川秀忠と三代目将軍徳川家光の時代に大規模な拡大整備

江戸城は、長禄元(1457)年に太田道灌によって築かれ、大永4(1524)年に北条氏の支城となりました。しかし、天正18(1590)年の豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡し、徳川家康が関八州に移封され、江戸城がその居城となりました。

当初、徳川家康が入城した江戸城は応急修理が施された程度でしたが、二代目将軍徳川秀忠と三代目将軍徳川家光の時代に大規模な拡大整備が行われ、寛永13(1636)年には壮大な城郭が完成しました。この頃の江戸城は、広大な敷地と堅固な防御施設を持ち、多くの大名や武士が居住していました。

現在、江戸城跡は皇居外苑や宮内庁管理の東御苑の一部となっており、特別史跡として指定されています。江戸城のお濠や土塁、石垣などが現存し、当時の姿を偲ばせます。また、江戸城内には多くの重要文化財や史跡が点在しており、歴史的価値が高く評価されています。

江戸城跡を訪れると、江戸時代の歴史と文化を感じることができるだけでなく、現代の東京都心にある緑豊かなオアシスとしても楽しむことができます。また、皇居外苑や東御苑では、四季折々の風景を楽しむことができ、観光客や地元住民に愛されている場所です。

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徳川家康陣跡 特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」

There are remains that show the residence of Tokugawa Ieyasu at that time.
当時の徳川家康の居城を示す遺構が残されています。

名護屋城は、文禄・慶長の役(1592-1598)の際に、日本軍の出兵拠点として築かれた城です。この城は7年間にわたって大陸侵攻の拠点となりました。城の面積は17ヘクタールに及び、130以上の諸大名の陣屋が周囲に構築され、20万人を超える人々が集まりました。現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡は国の特別史跡に指定されています。

徳川家康陣跡は、名護屋城跡の北東に位置し、当時の徳川家康の居城を示す遺構が残されています。徳川家康陣跡には、主郭と別陣が存在し、それぞれに関連する遺構が見られます。

発掘調査により、徳川家康陣跡の主郭北西部からは虎口(門の入り口)、石段、礎石が発見されており、城の規模や構造が明らかになっています。また、主郭南西部からは虎口と礎石が発見されています。さらに、主郭北部の腰曲輪では、石塁も確認されています。

これらの遺構から、当時の徳川家康の陣地がどのように構築され、使用されていたかが伺えます。名護屋城跡と徳川家康陣跡を訪れることで、文禄・慶長の役の歴史や当時の軍事戦略を学ぶことができます。また、周辺には自然に恵まれた景観もあり、歴史と自然を楽しむことができる場所として、観光客に人気があります。

おわりに

どうする家康」の放送で再び脚光を浴びる徳川家康ゆかりの遺跡を巡る旅は、歴史好きにはたまらない魅力が満載です。今回は、そんな徳川家康にゆかりのある遺跡5ヶ所をピックアップしました。歴史を感じる場所で、家康の偉業や戦略に思いを馳せることができるでしょう。

  1. 駿府城:天下普請によって築かれた徳川家康の隠居城。静岡県静岡市葵区に所在し、駿河の中心地であった。
  2. 関ヶ原古戦場:1600年の関ヶ原の戦いで東軍と西軍が激突した場所。徳川家康の勝利により江戸幕府が開かれ、岐阜県関ケ原町に現存する。
  3. 高天神城跡:静岡県掛川市にある難攻不落の城。今川氏、武田氏の勢力争いの中で築かれ、徳川氏が最終的に落城させた。
  4. 江戸城跡:江戸時代の政治・経済の中心地であった江戸城。現在は皇居として利用されており、特別史跡に指定されている。
  5. 徳川家康陣跡:名護屋城跡内に所在し、文禄・慶長の役に際し徳川家康の陣地となった場所。国の特別史跡に指定されている。

これらの遺跡を巡ることで、大河ドラマ「どうする家康」の舞台裏に迫ることができます。歴史を感じながら、家康の人生や戦略を理解することができるでしょう。この機会にぜひ、徳川家康ゆかりの遺跡を訪れてみてください。

参考文献

掛川市教育委員会 2009 『史跡 高天神城跡』掛川市教育委員会
掛川市 2023 『高天神城読本』掛川市
関ケ原町教育委員会 1982 『関ヶ原古戦場発掘調査報告』関ケ原町教育委員会
佐賀県立名護屋城博物館 2017 『佐賀県立名護屋城博物館調査報告書13:徳川家康陣跡(No.10陣跡)』佐賀県立名護屋城博物館