地面のすぐ下に眠るのは、騎馬戦車ごと埋められた黄金の財宝。泥炭の湿地から姿を現したのは、3000年前の“完璧すぎる”ロースト鍋と織りかけの布。いや、空を見上げれば、スコットランドから750キロの旅を経て運ばれてきた巨石が月光を受けて輝き、暗黒時代の墓からはガーネットがきらめく豪華ペンダントがそっと現れる——。

いま、英国の大地と泥と石は、まるでタイムカプセルの蓋を次々と開けるかのように、驚きの物語を語り始めています。鉄器時代の「メルソンビー遺宝」、青銅器時代の水上集落「Must Farm」、巨石遺跡ストーンヘンジの新たな謎、そしてアングロサクソンの華麗な埋葬。最新テクノロジーと市民の好奇心が手を取り合い、歴史のピースがみるみる埋まっていく——そんな“考古ラッシュ”の最前線へ、ご案内しましょう。

1.鉄器時代の財宝:メルソンビー遺宝の発見

北イングランドのメルソンビー村近郊で発見された「メルソンビーの埋蔵財宝」は、イギリス史上最大級ともいわれる鉄器時代の財宝です 。2021年末、アマチュアの金属探知機愛好家ピーター・ヘッズさんがこの財宝を偶然見つけ、すぐに専門家に報告したことで本格的な発掘調査が実現しました 。その成果、2022年に発掘された財宝は800点以上にも及び、約2000年前(紀元1世紀頃)の「タイムカプセル」と評されています 。出土品には大きな青銅製の鍋やワインを混ぜるボウル、馬具、四輪馬車や二輪戦車の部品、大型の鉄製鏡、儀式用の鉄の槍先など実に多彩な品々が含まれていました 。

この財宝の特徴は、その規模と多様性が鉄器時代英国では極めて異例な点です 。特に注目すべきは、複数の馬車・戦車の部品がまとめて見つかったことです 。発掘チームによれば、少なくとも7台分以上の四輪馬車や二輪戦車の一部と、14頭分を超えるポニー用の精巧な馬具が含まれていました 。こうした馬車関連の遺物は英国ではきわめて珍しく、一部は当時の大陸ヨーロッパでの例に近い様式だといいます 。また、馬具には赤い地中海産のサンゴや色ガラスで飾られたものもあり、鉄器時代の英国が当時すでに広範な交易ネットワークに組み込まれていたことを示唆しています 。

興味深いことに、この財宝は意図的に焼かれ破壊された痕跡を残していました。調査チームは出土品を大きな土の塊ごと切り出してCTスキャンで内部を解析し、大半の鉄製・青銅製品が燃やされ曲げられていたことを突き止めました 。人骨こそ見つかりませんでしたが、まるで葬送の火( pyre )で儀礼的に燃やされたかのような状況です 。焼却後、遺物は溝に投げ込まれ石で覆われており、権力者の所有物を意図的に破壊・埋納した可能性があります 。実際、北部ブリテンの鉄器時代エリートが南部と比べても同等に強大であったことの証左とも指摘されています 。こうした大量の高位の品々の破壊と埋納は非常に珍しく、従来の歴史観を見直す契機となっています 。現在、このメルソンビー財宝は地元博物館での展示に向けて保存・分析が進められており、英国の歴史観を再評価する重要な発見として注目されています 。

2.「英国のポンペイ」:Must Farm湿地遺跡に見る青銅器時代の日常

湿地に眠っていた青銅器時代の集落、Must Farm(マスト・ファーム)遺跡は「ピーターバラのポンペイ」あるいは「英国のポンペイ」と称されるほど驚異的な保存状態で知られます 。この遺跡は紀元前850年頃、青銅器時代末期の小さな集落の跡で、2015~2016年にかけて本格発掘が行われました 。円形の木造家屋が川沿いの湿地に杭で支えられて建てられていましたが、わずか数か月から1年足らずの居住の後に原因不明の大火災に見舞われます 。炎上する建物は川の上に崩れ落ち、床や壁とともに家財道具が泥水に沈みました。しかし泥と水のおかげでそれらは奇跡的に損傷を免れ、約3000年前の人々の生活がそのまま閉じ込められたのです 。

発掘の結果、数千点規模の生活用品が出土しました。その内訳は木製品が約200点、繊維・織物が150点以上、土器が128点、金属器が90点超と多岐にわたります 。これらは英国の青銅器時代の遺跡として史上最大の家庭用品のまとまりであり、当時の生活ぶりを物語る宝庫となっています 。保存状態は“奇跡的”で、例えば木製の食器や炭化した穀物入りの鉢、編みかけの布やその織り機の重りまで見つかりました。中にはヨーロッパ随一と評される精巧な織物や、食事の残り物が入ったままの壺、さらには中東で製造されたガラス玉などの貴重品も含まれており、当時の人々が質の高い工芸品や遠方の交易品を手にしていたことがうかがえます 。また泥中からは人々の足跡まで検出され、家屋のどこに誰がいたのかという生々しい情景まで想像させてくれます 。

Must Farm遺跡から出土した青銅器時代の生活用品(一部)。壊れずに残った土器や木製品から当時の家庭の様子が伺える 。さらに詳細な分析によって、この集落の暮らしぶりが現代の家庭にも通じる「驚くほど快適な生活」であったことが明らかになりました 。住居の内部配置はまるで現代の家の部屋分けのようで、台所に当たる一角からは調理用の壺や木鉢、小さなカップがまとまって出土し、他の箇所からは布づくりの道具や保管用の大型容器が見つかるなど、機能ごとに分かれた生活空間が確認されたのです 。家畜の子羊を屋内で飼っていた痕跡や、工具セット(鎌や斧、削刀、さらには髪を整えるカミソリまで!)が各家に揃っていたことも判明しました 。屋根は藁・芝土・粘土の三重構造で断熱性と通気性を両立させ、屋外には不要物の捨て場(ゴミ捨て穴)も備えていた形跡があります 。これらは、当時の人々が想像以上に洗練された住環境と衛生観念を持っていたことを示しています。

このMust Farm遺跡の研究成果は2024年に入り大きくまとめられ、専門書の刊行や博物館での特別展を通じて一般にも紹介されました 。これほどまでに具体的な青銅器時代の生活像が描き出せたのは世界的にも珍しく、考古学者たちは「古代の人々が思った以上に高度な生活を営んでいたことが分かり、我々の想像を覆した」と述べています 。Must Farmの発見は、遙か昔の日常の営みを現代に蘇らせ、歴史教科書を刷新するインパクトを持つ成果といえるでしょう。

3.巨石遺跡ストーンヘンジの新たな謎解き

イギリス先史時代を象徴する巨石遺跡ストーンヘンジもまた、最新研究によって新たな一面が浮かび上がっています。2024年末、ロンドン大学考古学研究所(UCL)の研究チームは、ストーンヘンジ中心部に横たわる重さ6トンの「祭壇石(Altar Stone)」の出自を再分析し、従来の定説を覆す発見を発表しました。それによると、この石はこれまで考えられていたウェールズではなく、イギリス最北部のスコットランド由来であることが判明したのです 。実はストーンヘンジを構成する全ての石(数十個に及ぶ大小の巨石)は、遺跡のあるソールズベリー平原から遠く離れた各地から運ばれてきていました。約5000年前の新石器時代、車輪もなかった時代にこれだけの巨石を各地から集めた事実は驚異であり、英国に900か所以上ある他の環状列石には見られないストーンヘンジ特有の現象です 。研究チームのマイク・パーカー・ピアソン教授は「これほど遠方から石を集めたストーンヘンジは宗教的モニュメントであると同時に、当時のブリテン各地の人々を政治的に一つに結束させる記念碑でもあった可能性があります」と述べています 。つまり、ストーンヘンジは太陽崇拝などの宗教的機能だけでなく、離れた地域同士の同盟や協調を象徴する国家的プロジェクトだったかもしれないというのです 。

この新説を裏付けるかのように、ストーンヘンジ周辺では近年、当時各地から人々や動物が集まって盛大な宴をしていた証拠も見つかっています。例えば近隣のダリントン・ウォールズ遺跡で発掘された家畜の骨の同位体分析から、豚や牛がスコットランドや他の遠方から連れて来られ、ストーンヘンジ近くで冬至祭の饗宴に供されていたことが判明しています 。ストーンヘンジで埋葬された人骨の分析でも、被葬者の約半数がこの地の出身ではなく遠隔地からの移住者だったことが分かりました 。さらに、今回スコットランドから運ばれたと判明した祭壇石は、スコットランド北東部特有の「横たわる石の石環(レカンベント・ストーン・サークル)」になぞらえた配置でストーンヘンジ中央に据えられており、当時の北ブリテンとウィルトシャー地方(ストーンヘンジ所在地)との間に密接な文化的つながりがあったことを示唆します 。祭壇石自体、もしかすると北の人々から南への贈り物だったのではないかというロマンあふれる推測もされています 。

これらの研究成果は、永遠の謎とも称されるストーンヘンジの目的に新たな光を当てています。天体観測所・太陽暦・宗教施設など様々な説がある中、「ブリテンの統一」という視点は社会的・政治的役割の重要性を強調するものです。もちろん決定打とは言えませんが、科学技術の進歩(巨石の地質同定など)と新たな発掘によって、ストーンヘンジの物語は今も書き換えられ続けています。古代の人々が残した巨石のメッセージを解読する試みは、2024年現在でも続く壮大な歴史パズルと言えるでしょう。

4.アングロサクソン時代の埋葬:「暗黒時代」の実像を探る

ローマ帝国統治の終焉後、「暗黒時代」とも称される5~7世紀の英国(アングロサクソン時代)の姿も、近年の発掘によって鮮明になりつつあります。この時代の人々は文字史料が乏しいため長らく謎が多いとされてきましたが、考古学がその空白を埋めています 。中でも2022年に高速鉄道HS2の建設工事に先立つ調査で発見されたアングロサクソン埋葬地は、「一生に一度の大発見」と称賛される驚きの遺構でした 。場所はイングランド中部バッキンガムシャーのウェンドーバー近郊で、発掘された墓は138基、埋葬された人骨は約141体にも上りました 。男性・女性・子供まで幅広い年代の遺体が安置され、そのほぼすべてが精巧な副葬品とともに葬られていたのです 。副葬品には金銀の装身具、ガラス玉や琥珀のネックレス、豪華なブローチ(衣服留め具)が数多く含まれ、武具では鉄の槍先や剣、円盾の金具に至るまで多彩でした 。なかでもある若い男性の骨には背骨に鉄の矢尻が突き刺さった状態で残っており、戦闘で前方から槍を受け致命傷を負った可能性を示しています 。一方、ある女性の墓からは淡い緑色ガラス製の碗(ボウル)が完全な形で出土しました。この碗は5世紀頃の製造と見られ、彼女が相当な高位の人物であったことを物語っています 。さらに、その女性は指輪や複数のブローチ、象牙の小物まで身に着けて埋葬されており、当時の装いの豪華さに驚かされます 。

このHS2沿線の大規模墓地の発見は、「暗黒時代」と呼ばれた時代が決して文化的に暗いわけではなく、豊かな物質文化と社会構造を備えていたことを如実に示しました 。埋葬者たちの多くは比較的裕福で、身の回りの愛用品とともに葬られており、その中にはフランス製のワイン用グラスやヨーロッパ大陸由来の宝飾品など、国際交易の痕跡も見られます 。また爪楊枝やピンセット、櫛、耳かきといった身だしなみ用品まで副葬されていた例もあり、人々が生活の細部まで気を配っていたことが伝わってきます 。考古学者たちは「5~6世紀は不明な点が多い時代だが、今回の発見で当時の社会の断面図が鮮やかに浮かび上がった」と述べています 。

さらに2024年初頭には、リンカンシャーで20数体規模のアングロサクソン小墓地も発見されています 。こちらは初期中世の墓が一部先史時代の古墳跡に重ねて造られており、10代の少女と幼児が寄り添うように埋葬された墓から金のガーネット装飾ペンダントや銀製ペンダント、ガラス玉が出土したことが注目されました 。現在、DNA分析や同位体分析といった最新科学による調査が進行中で、埋葬者同士の血縁関係や、生前にどこで生まれ育ち何を食べていたか(食生活や移動歴)まで解明しようとしています 。考古学者ジャクリーン・マッキンリー氏は「最新の科学的手法を駆使することで、このコミュニティの移動や遺伝的背景、食生活まで格段に理解が深まるでしょう」と期待を語っています 。このように、発掘調査と科学分析を組み合わせることで、かつて「闇に包まれている」とされたアングロサクソン時代の実像が次第に輪郭を現しつつあります。

まとめ

ここまで紹介した例は、英国考古学界の最近のトレンドを象徴するものです。金属探知機を手にした市民の協力で偶然発見された財宝から、開発プロジェクトに伴う組織的な発掘調査、大規模研究プロジェクトの集大成としての報告書刊行、そして分析技術の進歩による新発見まで、多様なアプローチが過去の謎を解き明かしています。メルソンビーの財宝は鉄器時代社会の再評価を促し、Must Farm遺跡は青銅器時代の日常を生き生きと復元し、ストーンヘンジの研究は先史時代人の広域ネットワークに思いを馳せさせ、アングロサクソンの埋葬発見は初期中世の「暗黒」を光で照らしました。それぞれの発見が示すのは、現代の我々がいかに豊かな歴史の遺産の上に暮らしているかということです。

考古学の魅力は、新たな一片の証拠が歴史像を塗り替えるダイナミズムにあります。英国ではこの先も各地で発掘や研究が続き、思いもよらない発見が飛び出すでしょう。それは同時に、先人たちの暮らしぶりや知恵、交流の痕跡を掘り起こし、未来へと伝えていく営みでもあります。最新の発見に触れるたび、私たちは古代から連なる人類の物語に新たなページを加えているのです。英国考古学の今後の展開にもぜひ注目してみてください。それは過去を知ることに留まらず、私たち自身がどこから来てどこへ向かうのかを考える上で、大きな示唆を与えてくれるに違いありません。