和歌山県は歴史的遺産の宝庫であり、数千年にわたる人々の営みが様々な形で今日まで保存されています。県内には3,436か所もの遺跡があり、旧石器時代から江戸時代までの貴重な埋蔵文化財が数多く残されています。特に紀の川流域は遺跡の密度が非常に高く、古代から人々の暮らしの中心地でした。本記事では、埋蔵文化財や遺跡の観点から特に重要な和歌山県の史跡をご紹介します。歴史愛好家はもちろん、一般観光客にとっても魅力的な史跡の数々をぜひ訪れてみてください。

古墳時代の栄華を伝える岩橋千塚古墳群

和歌山県最大の見どころの一つが、和歌山市東部の丘陵に位置する岩橋千塚古墳群です。この古墳群は700基を超える古墳からなり、特別史跡に指定されている日本有数の規模を誇る古墳群です。4世紀末頃から古墳の築造が始まり、6世紀にかけて最盛期を迎えました。

特に興味深いのが大日山35号墳で、造出しから出土した埴輪の数々です。ここからは、両面に顔をもつ人物埴輪や翼を広げた鳥形埴輪、胡籙(ころく)形埴輪など、全国的にも珍しい埴輪が出土しています。両面人物埴輪は片方がやさしそうな顔、もう片方が入れ墨をした怖い顔という特徴があり、『日本書紀』に記された「飛騨の両面すくな」を思わせる興味深い遺物です。

また、天王塚古墳は横穴式石室の高さが6メートル近くあり、全国で2番目の高さを誇る石室をもつ古墳として注目されています。この地域独特の「岩橋型横穴式石室」と呼ばれる石室構造が特徴的です。

古墳群の保存・活用のための博物館施設「紀伊風土記の丘」も併設されており、出土品の展示や古代の暮らしについて学ぶことができます。

縄文時代を今に伝える鳴神貝塚

著:譽田 亜紀子, 監修:武藤 康弘
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縄文時代の遺跡として特筆すべきは、和歌山市の鳴神貝塚です。この貝塚は明治28年(1895年)に発見され、近畿地方で初めて発見された貝塚として考古学上非常に重要な位置を占めています。昭和6年(1931年)には国の史跡に指定されました。

貝層の範囲は東西130m、南北100mにおよび、県内最大級の規模を誇ります。発掘調査の結果、人骨の埋葬された土坑や、縄文時代早期の貝層、早期から晩期にかけての土器を含む包含層が確認されており、縄文時代早期から晩期にかけて断続的に人々が生活していた集落遺跡の一部であると考えられています。

鳴神貝塚からは多様な貝類が出土しており、当時の人々の食生活や環境を知る上で重要な手がかりとなっています。縄文人の生活の痕跡を直接感じることができる貴重な史跡です。

朝鮮半島との交流を物語る遺跡群

和歌山県の5世紀頃の遺跡からは、朝鮮半島との活発な交流を示す遺物が多数出土しています。この時期は紀伊地方に大きな変化がおきた時代で、各地に渡来文化の影響が見られます。

大谷古墳と馬具文化

大谷古墳からは東アジアで初めての発見となった馬の甲冑(馬冑)が出土しました。それまでは高句麗の古墳の壁画などでその存在が知られていただけでしたが、実物としては画期的な発見でした。この馬冑は、中国東北部に源流があり、朝鮮半島を経由して日本列島にもたらされたと考えられています。墓からは武器も多く出土しており、被葬者は武人であったと推測されています。

車駕之古址古墳の金製勾玉

車駕之古址古墳からは、国内では唯一となる金製勾玉が出土しました。全長18mmの金色に輝くこの勾玉は、頭部に刻み目を入れた細い金の紐を貼り付けて装飾されています。首飾りの中心の玉として使用されたと考えられます。

この金製勾玉は、金63~64%、銀35~36%、わずかな銅を混ぜた合金で作られており、現在の金細工に使われる比率に近いとされています。朝鮮半島に類似品がありますが、日本国内ではこの1点のみという非常に貴重な遺物です。

楠見遺跡の陶質土器

楠見遺跡からは朝鮮半島の影響を受けた陶質土器が出土しています。これらは朝鮮半島から運ばれたものか、日本列島で製作されたものかは現在も研究途上ですが、朝鮮半島の伽耶地域の影響を受けた土器と考えられています。

これらの遺跡は、古代の和歌山が海を介して朝鮮半島と活発な交流を持っていたことを物語っており、当時の国際関係を知る上で貴重な資料となっています。

海人の暮らしを伝える磯間岩陰遺跡

編集:山田 康弘, 編集:設楽 博己
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和歌山県の沿岸部に位置する磯間岩陰遺跡は、5世紀後半のものと考えられ、鹿角製品が多数出土したことで知られています。シカの角で作られた刀の部品には模様が刻まれており、一部には鉄の刃が残っているものもあります。また、同じくシカの角で作られた釣り針や矢じりなども出土しており、海辺で生活していた人々の暮らしぶりを知る貴重な資料となっています。

これらの遺物は、古代の沿岸部に住む人々(海人)の埋葬習慣や生活技術を研究する上で重要な手がかりを提供しています。

徳川の栄華を今に伝える和歌山城

お城は貴重な文化財ですね。
お城は貴重な文化財ですね。

歴史遺産の観点から和歌山県を語る上で欠かせないのが和歌山城です。虎伏山(とらふすやま)に天守閣が立つ和歌山市のシンボルで、徳川御三家の一つ、紀州徳川家の居城として知られています。

和歌山城は1585年に豊臣秀吉の弟・秀長によって築城されましたが、1619年からは紀州徳川家の居城となりました。紀州徳川家は江戸時代の政治に大きな影響を与え、後に二人の将軍を輩出した名門です。

城内には庭園や茶室など様々な見どころがありますが、特に必見なのが天守閣です。残念ながら戦時中の空襲で焼失しましたが、戦後、市民や同市出身の実業家・松下幸之助の寄付によって再建されました。現在の天守閣は鉄筋コンクリートで当時の外観を再現したもので、内部には資料が展示されています。天守閣からは和歌山市街を360度見渡すことができる絶景スポットでもあります。

また、和歌山城公園では「おもてなし忍者」が道案内や写真撮影のお手伝いをするなど、ユニークなサービスもあります。

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戦火を免れた歴史的建造物:光恩寺庫裡

和歌山城関連の建造物で戦争の被害を免れた貴重な遺構として、光恩寺庫裡があります。紀伊吐前城主・津田監物が建立し、初代住職の信誉上人は紀州藩祖徳川頼宣に学問を教えた学識の高い人物でした。

昭和46年(1971年)に和歌山市指定文化財に指定され、和歌山城の建造物で戦争で焼失せずに残っているのは和歌山城内の岡口門とこの庫裡だけです。築後400年を経ても今なお頑強な状態で保存されています。

近世の交通遺構:四箇郷一里塚

紀州藩祖徳川頼宣が築かせた里程標である四箇郷一里塚も貴重な近世の遺構です。和歌山城京橋を起点として丁度一里の距離に設けられました。

元和5年(1619年)に徳川頼宣が和歌山の城主として入国すると、城郭の規模を拡張し、城下町の整備に取り掛かりました。上方街道の道路を整備し、両側に松並木を作り、一里塚を築きました。

藩主が参勤交代で江戸に赴く時、藩士たちはここまで来て一行を見送り、また帰国の時もここで出迎えたという歴史的な場所です。一里塚が設けられた地点を知ることができても、塚の状態で保存されているものはきわめて少なく、近世交通遺跡として貴重な存在です。

熊野古道関連の王子跡

熊野古道の一部である紀伊半島のルート上には、熊野九十九王子社と呼ばれる社があり、和歌山県内にはその跡地が数多く残されています。

特に藤白王子跡、松代王子、松坂王子、菩提房王子、祓戸皇子、一壷王子跡、藤代塔下王子跡などが知られています。これらの王子社は平安時代の熊野詣で参詣者の休憩所や宿泊施設として機能していました。

例えば一壷王子跡は鳥居もある立派なスポットで、「一壷」という名は田地の坪付の第一の坪から来ています。また、藤代塔下王子跡の近くにある地蔵峯寺本堂内には、地元の人々に「峠の地蔵さん」と呼ばれ親しまれている石仏があります。

これらの王子跡は熊野古道の歴史を伝える貴重な文化遺産であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として重要な価値を持っています。

和歌山県の埋蔵文化財保護への取り組み

和歌山市には約430ヵ所の遺跡(埋蔵文化財)があり、埋蔵文化財センターが和歌山市教育委員会との連携によって埋蔵文化財保護に関する業務を行っています。遺跡が土木工事等によって破壊される恐れがある場合、工事前に記録保存のための発掘調査を実施します。

発掘調査は考古学の専門知識を持った調査担当者が行い、現地調査後は出土した遺物の整理を経て報告書を刊行します。業務終了後、記録保存資料は適切に管理され、学術研究目的等の必要に応じて博物館・資料館・大学などへの貸出にも対応しています。

このような取り組みにより、和歌山県の貴重な文化遺産が保護・研究され、私たちは今も県内各地で歴史的遺産に触れることができるのです。

まとめ

Have you ever been to Wakayama Prefecture?
和歌山県に行ったことありますか?

和歌山県は古代から現代まで、様々な時代の歴史的遺産が豊富に残されている地域です。旧石器時代の遺跡から縄文時代の鳴神貝塚、古墳時代の岩橋千塚古墳群、朝鮮半島との交流を物語る様々な遺物、そして江戸時代の和歌山城まで、幅広い時代の歴史を体感することができます。

これらの史跡は単なる観光地としてだけでなく、日本の歴史や文化を理解する上で非常に重要な意味を持っています。和歌山県への旅行の際には、ぜひこれらの貴重な埋蔵文化財や史跡を訪れ、歴史のロマンに触れてみてください。過去から現在へと続く時の流れを実感することができるでしょう。