私たちは、日々新たな冒険を求め、知らない世界を探求する人間の好奇心に駆り立てられています。この好奇心があるからこそ、私たちは過去の遺産を発見し、それを現代に持ち込むことができます。しかし、この探求活動には一定の責任が伴います。遺跡の発掘や歴史的遺産の取り扱いには法的な規制があり、それを無視した行動は法的な問題を引き起こす可能性があります。また、これらの規制は単に法的な問題だけでなく、歴史や文化を尊重し、次世代へと引き継ぐための手段でもあります。
YouTube上の「宝探しちゃんねるATENALES」の運営者が引き起こした一件は、これらの問題を端的に示しています。一方で、三重県津市のある兄弟による驚きの発見は、好奇心が適切に導かれた場合にどのような価値を生み出すかを示しています。
このブログでは、これらの事例を通じて、好奇心を正しい方向に導く方法、そして法的な規制を尊重しながら歴史や文化遺産を探求する方法について考察していきます。
「宝探しちゃんねるATENALES」の問題の動画とは?

「宝探しちゃんねるATENALES」は、冒険と探求心を融合させたYouTubeチャンネルです。今回問題となっている動画は、埼玉県秩父市の熊倉城で行われた金属探知機を使った宝探しの冒険です。
このチャンネルの運営者は、金属探知機を装備し、「今回は絶対に貴重なものを見つけたい」という決意を胸に城跡を探検しました。運営者の探求心を示すエピソードとして、以前この城跡を探検した際に目立った成果を上げることができなかったことが紹介されています。これにより、今回の探索がただの遊びではなく、運営者自身の情熱と誠実さを表す挑戦であることが伝わります。
このエピソードのもう一つの興味深い点は、運営者が熊との遭遇についても触れていることです。これは、城跡探検の危険性と冒険心を同時に示しており、視聴者に対する緊張感を維持する手法と言えます。
彼の探索は結果的に多くの発見をもたらしました。コイン、カメラの部品、アルミホイールといったさまざまなアイテムが見つかりました。特に昭和の硬貨の発見は、歴史的な意味合いも持つ可能性があり、それは新たな知識の発見という形で視聴者に提供されました。
運営者は、発見したアイテムの価値や希少性についても議論しました。特にその日の最高の宝物と宣言された10円玉は、探索の喜びと成功を具体化したものと言えます。
しかしながら、この冒険の興奮と探求心は、文化財保護という重要な視点を見落としていることを私たちに示しています。文化遺産の探索は、法的な許可と専門知識が必要であり、無許可での行為は違法行為となります。このような事実を通して、「宝探しちゃんねるATENALES」は、冒険の楽しみと学び、そして適切な行動のバランスを模索し続ける必要があることを示しています。
熊倉城、別名・日野城は、日本の城としてはその存在が比較的に謎に包まれている側面があります。その訳は、この城が中世期において「日野城」と呼ばれ、その名が江戸時代以降に「熊倉城」となった可能性があるからです。この名前の変遷は、「熊倉城」の名前が史料である『新編武蔵風土記稿』に登場する一方で、中世期の文献には存在しないという事実に由来します。
城山が熊倉山に連なる峰であったため、城の名前が「熊倉城」になったと考えられています。また、この城は埼玉県秩父市荒川日野の城山に位置しており、埼玉県選定の重要遺跡として指定されています。
熊倉城の歴史は、戦国時代の混乱の中で描かれています。城の築城は、主君である上杉顕定に反抗した長尾景春が、他の拠点である鉢形城と長井城を失った後の再起の一環として行われたと考えられています。しかし、彼の努力は短命に終わり、文明12年(1480年)に太田道灌によって攻められ、熊倉城(当時の日野要害)は落城しました。これにより長尾景春の乱は終結し、景春自身は下総国の古河公方の下に亡命しました。
その後の熊倉城は、上杉氏、北条氏、武田氏などの支配下に置かれ、鉢形城の支城として機能しました。そして、時代が進むにつれ、この城は廃城となりました。これは遅くても小田原の役によって生じた変化であったと考えられています。
地理的に見ると、熊倉城は自然環境をうまく利用した堅牢な要塞でした。城は熊倉山から北へ伸びる城山の尾根に沿って築かれ、その位置は荒川およびその支流が形成した崖と渓谷に阻まれた天然の要害でした。また、城跡の外周は急斜面となっており、中央部の本丸を囲むように空堀が巡らされていたことが知られています。これらは、当時の城郭技術と、その地形が戦略的にどのように利用されていたかを物語っています。

「宝探しちゃんねるATENALES」の動画への反応

埼玉県教育委員会文化資源課は、動画に対して次のようにコメント。
【文化資源課からのお報せ】 動画投稿サイト上に「宝探し」などの名目で、文化財として周知されている土地と思しき場所を掘削する動画が見受けられます。 文化財保護法や文化財保護条例によって指定等された土地を、法令で定められた手続きを経ずに掘削等を行うと、法令に違反する恐れがあります。
埼玉県文化資源課@saitamabunkazai
これは、遺跡での掘削行為が法令に違反する可能性を示唆しています。
一方、チャンネルの運営者は「文化財保護法にて、土木工事などの開発事業の掘削に申請が必要なことを認知していましたが、ハンドシャベル程度はそこにあたらないと認識していました」と釈明。
文化財保護の観点でコメント、各SNSでご指摘ありましたので埼玉県文化資源課、秩父市教育委員会に確認中です。 私個人の見解では 文化財保護法にて、土木工事などの開発事業の掘削に申請が必要なことを認知していましたが、ハンドシャベル程度はそこにあたらないと認識していました。 今回の件を受け、埼玉県の方から返事を頂き次第、今後の活動方法を考えていこうと思っております。 改めて内容を動画にしたいと考えております。 お騒がせして申し訳ありません。
2023/05/07 「宝探しちゃんねるATENALES」
しかし、今回の指摘を受けて「今後の活動方法を考えていこうと思っております」と述べ、活動方針の見直しを示唆しました。
一方で・・・次のような報道も。

2022年1月、三重県津市に住むA君(12)と弟のB君(9)は、近所の山で遊んでいる最中に重要な考古学的発見をしました。一緒にいた空手の先生と共に、森の中にある大きな石を動かし、その下に古い壺を見つけたのです。この壺は、その形状や模様から、12世紀に渥美半島で作られた四耳壺と判断されました。壺(四耳壺)の近くからはさらに鉄の刀と菊の花が描かれた和鏡も見つかりました。
この3つが同じ場所で見つかったことは初めての事例であり、津市教育委員会生涯学習課の中村さんはこれを「大発見」と評しました。壺(四耳壺)はおそらく骨を収めるためのものであり、刀と鏡と一緒に埋められていたことから、この地域の有力者が埋葬された墓だった可能性が考えられます。
兄弟と空手の先生は遺跡を元の状態に戻し、その後すぐに博物館に連絡しました。これにより、遺跡は保護されることとなりました。現在、津市はこの発見物の調査を進め、今後一般公開を行う可能性も検討しています。この発見は、地元の歴史に新たな一章を加えるとともに、兄弟にとっても大きな成果となりました。
おわりに

まず、埼玉県秩父市の熊倉城におけるYouTube動画問題を再検討しましょう。この問題は、YouTuberの「宝探し」活動が、考古学的遺跡である熊倉城の文化財の保全や尊重に影響を及ぼす潜在的なリスクを浮き彫りにしました。これは公的機関や一部の市民の間で批判を引き起こし、その結果、埼玉県教育委員会は監視体制の強化やYouTuberとの協調を模索するなど、適切な対策を検討するよう迫られました。
次に、三重県津市での遺物発見の事例を詳細に見ていきましょう。ここでは、子供たちが遊びの一環として重要な遺物を偶然発見しました。この発見は「埋蔵文化財の不時発見」に該当し、その目的は営利的なものや建設活動ではなかったため、この行為自体に問題性はほとんど見られませんでした。津市教育委員会は速やかに反応し、関係各所と連携して行政手続きを進め、遺物を適切に保護しました。
これら二つの事例からは、遺跡や文化財への人々の接し方と公的機関の対応方法について貴重な示唆を得ることができます。一方では、無意識や無知からくる不適切な行動が文化財の保護に対する脅威となり得ます。他方では、偶然の発見が新たな歴史的価値を明らかにする可能性を示しています。
公的機関は、文化財の保全を最優先しつつ、市民が遺跡や文化財への関心を持ち、それらに対して適切に接することを促進する必要があります。これには、教育の普及や適切なガイドラインの提示などが含まれます。また、市民一人ひとりが自己の行動が文化遺産に与える影響を理解することも重要です。これらの事例は、そのようなバランスを達成するための貴重な洞察を提供しています。