こんにちは、みなさん!今回は、とても興味深いイベントについてお話ししようと思います。それは、「令和4年度宮城の発掘調査パネル展」です!このイベントでは、宮城県にあるたくさんの遺跡を紹介しています。宮城県には、旧石器時代から明治時代までの約6,200箇所もの遺跡があるんだよ。遺跡は、私たちの祖先が残した大切なものだから、守っていかなければなりません。
このイベントは、みんなが遺跡について学ぶことができるように、県教育委員会が開催しています。遺跡が開発の影響を受けることがあるけれど、発掘調査で調べて記録に残すことができるんだ。そして、調査の成果をみんなに見せるために、毎年「宮城の発掘調査パネル展」が開かれているんだよ。
今年の展示は、3月27日から4月7日まで、県庁1階ロビー壁面で開催されます。色々な時代の遺跡が紹介されるよ。例えば、縄文時代の高田山遺跡、古墳時代の西岡遺跡、飛鳥時代の仙台郡山官衙遺跡群、奈良・平安時代の原遺跡や多賀城跡、江戸時代の蒲生御蔵跡などがあるよ。
このイベントに関連して、各遺跡のYouTube動画も徹底解説されるから、遺跡に興味がある人にはぜひチェックしてほしいです。小学生でもわかるように説明されるから、家族みんなで楽しめるよ!
宮城県の歴史と文化に触れるチャンスだよね。みんなもぜひ、県庁に行ったときには、このパネル展を見てみよう!遺跡や歴史について学べる楽しいイベントだよ。
高田山遺跡(宮城県栗原市)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、栗原市高田山遺跡を紹介します。遺跡は縄文時代のもので、食料を貯めるための穴が見つかりました。調査では19個の穴が発見され、その中のいくつかは大人が入れるぐらいの大きさです。これらの穴は、袋状の形をしていて、入り口が狭く、下に行くほど広がります。この形は、穴の中の温度と湿度を安定させるための工夫だと考えられます。
遺跡からは縄文土器の破片も見つかりましたが、これは食料を入れるために使われたものではなく、使われなくなった後に捨てられたと考えられます。これらの発見は、約5500年前から4000年前の縄文時代中期に遡ります。調査では、穴を使って食料を貯蔵した人たちの家は見つかっていませんが、近くにあったと考えられます。今回の調査で、縄文時代の人々がどのように食料を貯蔵していたかがわかりました。
西岡遺跡(宮城県加美町)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展で、西岡遺跡の古墳時代の土器が紹介されました。1500年以上前の竪穴建物跡から多くの土器が出土しました。これらの土器は食器、調理用、貯蔵用として使われていました。建物内には調理用のかまどがあり、完全な形で見つかった土器もありました。引っ越す前に置き去りにされた土器がそのまま残っていると考えられます。かまどの近くにたくさんの土器があったことから、古墳時代の人が右利きだった可能性もあります。今回の調査では、古墳時代中期の後半ぐらいの年代が分かりました。この発掘調査で、古墳時代の生活や文化を知ることができます。
仙台郡山官衙遺跡群(宮城県仙台市)
「令和4年度宮城の発掘調査パネル展」では、仙台郡山官衙遺跡群について説明がありました。遺跡は、仙台市の南部にあり、飛鳥時代から奈良時代の役所や寺院があった場所です。調査では、東西に約18メートルの長い建物が2棟並んでいることがわかりました。この建物は、柱の穴が70センチから1メートルと大きく、横幅も広くてとても長いものでした。建物は左右対称で、国府の中心部に立てられていました。この配置は地方では珍しく、国府の中枢部分の建物配置がよくわかりました。
原遺跡(宮城県岩沼市)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、原遺跡が発見されました。原遺跡は、奈良時代から平安時代の駅家や関の遺跡です。駅家は食料を提供する施設、関は人や物の出入りを管理する役所でした。遺跡は岩沼市の南部、阿武隈川の北側にあります。2016年から調査が行われ、今年度は東側と南側の調査が進められました。
結果、溝が東に16メートル以上、南に45メートル以上伸びることが分かりました。内側には3つの掘立柱建物が並んでいて、計画的に建て替えられていました。柱の穴は70cmから90cmと大きかったです。この大溝で囲まれた部分が、駅家や関の中枢施設である可能性が高いと考えられています。これが原遺跡の発見の説明です。
多賀城跡附寺跡(宮城県多賀城市)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、多賀城跡附寺跡での発掘調査結果が紹介されています。この遺跡は奈良時代から平安時代にかけての役所で、古代陸奥国の行政や軍事を担当していました。発掘調査で、鉄器作りをしていた鍛治の作業跡が見つかりました。特に、羽口や鉄滓という遺物が発見され、鉄器作りの証拠とされています。
また、鉄製品が出土しましたが、中身はまだわからない状態です。可能性としては、武器や道具、または鍛冶作業で使われる道具が隠れているかもしれません。遺跡は成長のすぐ北側で発見され、これまで知られていなかったものづくりの場所が明らかになりました。
今後の分析で、鉄製品や鉄滓の詳細が明らかになることが期待されています。これらの発見は、古代の歴史や文化を理解するための貴重な手がかりとなります。
羽黒前遺跡(宮城県仙台市、利府町)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、羽黒前遺跡という場所で溝に囲まれた高台の集落が見つかりました。仙台市と利府町の間にあるこの遺跡では、令和3年度から発掘調査が行われています。調査の結果、たくさんの竪穴建物跡(たてあなたてものあと)と溝が確認されました。竪穴建物跡は1辺が約3メートルで、大人2人が横になると狭い感じる広さです。遺跡の性格から、ここで長期間住むよりは短期間留まったと考えられます。また、遺跡全体が溝で囲まれていて、斜面には多くの竪穴建物跡が作られていることがわかりました。この発見は非常に貴重な成果です。
大吉山瓦窯跡(宮城県大崎市)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、大吉山瓦窯跡が紹介されました。大崎市北西部にあるこの遺跡は、多賀城市の特別史跡・多賀城跡の建物の屋根に使われた瓦を作った窯跡です。学術調査が進められており、今回はその調査結果が発表されました。
この窯跡からは、ハスの花をかたどった瓦がたくさん見つかりました。特に、軒丸瓦と鬼瓦の2種類のハスの花が描かれた瓦が貴重です。新たに発見された文様は、平瓦という瓦にハスのつぼみの状態の文様が連続して描かれています。
ハスの花は古代の役所や寺社でよく使われ、仏教の力を借りて国を治めようと考えられています。今回新たに発見された文様がどこで使われていたかはまだわかりませんが、これからの調査でその場所や使われ方が明らかになることが期待されています。
吹付C窯跡(宮城県大衡村)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、平安時代の窯跡である吹付C窯跡が大衡村北部で見つかりました。9世紀前半の窯が2つ確認されました。割れたり歪んだりした失敗品がたくさん見つかりましたが、これらは製品を焼く台として使われたと考えられています。窯は斜面に作られていて、大品を使って焼き物をうまく焼こうという古代の人々のアイディアが残っています。また、古代の役所やお寺で使われた遺物も発見されました。
蒲生御蔵跡(宮城県仙台市)
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、仙台藩の物流拠点だった蒲生御蔵跡が紹介されました。仙台城へ米や塩を運んでいた遺跡は、仙台市の東部、七北田川の河口にあります。調査で江戸時代の堀跡や多くの掘立柱建物跡が見つかりました。大きな掘立柱建物跡は、蔵として使われていたと考えられます。
また、木簡という文字が書かれた木片がたくさん出土しました。木簡は、運ばれていた物資の情報がわかる貴重な資料です。これからの調査でさらに詳しい情報が明らかになることが期待されています。
おわりに
令和4年度宮城の発掘調査パネル展では、縄文時代から江戸時代にかけての遺跡が紹介されています。
栗原市高田山遺跡では、穴倉式の食料貯蔵施設が見つかり、縄文時代中期の生活が垣間見えます。西岡遺跡では古墳時代の土器や竪穴建物跡が出土し、生活の様子が分かります。仙台郡山官衙遺跡群では飛鳥時代から奈良時代の役所や寺院があったことが明らかになりました。原遺跡では、奈良時代から平安時代の駅家や関の遺跡が見つかりました。多賀城跡附寺跡では、鉄器作りの鍛治の作業跡が発見され、古代陸奥国の行政や軍事に関わる遺物が出土しています。羽黒前遺跡では溝に囲まれた高台の集落が見つかりました。大吉山瓦窯跡では、多賀城市の特別史跡・多賀城跡の建物の屋根に使われた瓦を作った窯跡が調査されました。平安時代の窯跡である吹付C窯跡が大衡村北部で見つかりました。仙台藩の物流拠点だった蒲生御蔵跡では、江戸時代の堀跡や掘立柱建物跡が見つかりました。
これらの発掘調査から、宮城県の歴史や文化が次々と明らかになっており、今後の分析でさらなる発見が期待されています。