歴史とは、過去と現在、そして未来が交錯する舞台です。特定の場所が、時間の中で受け継がれるさまざまな価値や記憶、そして期待を持つことで、その地域の意義や魅力はさらに増していきます。今回は、そんな時間の深層を感じられる場所、旧上瀬谷通信施設地区と、その地域が目前に控える新しい変革、KAMISEYA PARKのプロジェクトについて探っていきたいと思います。過去の重みと現代の期待が交差するこの地域の物語を、一緒に紐解いてみましょう。
旧上瀬谷通信施設の概要
旧上瀬谷通信施設(かみせやつうしんしせつ)は、神奈川県横浜市旭区及び瀬谷区に位置していました。元々は日本海軍の施設で、第二次世界大戦後、米軍に接収され通信基地として活用されました。2015年6月30日に、米国から日本へと返還されました。
1. 施設の歴史
- 日本海軍時代:農地や山林だった地域を旧日本海軍が買収し、資材集結所として使用。「第二海軍航空廠(こうくうしょう、Second Naval Air Factory)瀬谷補給工場」と「横須賀海軍軍需部瀬谷火薬庫」という名称で知られていました。
- 米軍接収時代:終戦後、米軍が接収。1947年に一旦接収解除されましたが、1951年に再度接収。米軍の住宅や関連施設として活用され、この時期には日米合同委員会にて電波障害防止地域の設定など、地域の利用に多くの制限が生じました。
- 返還とその後:2004年に日米合同委員会での返還方針が合意され、2006年に「米軍施設返還跡地利用指針」が策定されました。そして、2015年6月に正式に米国から日本へ返還されました。
2. 施設の区分
旧上瀬谷通信施設は大きく二つの区域に分かれます。
- 囲障区域(Enclosed Area):フェンスで囲まれた約50haの区域。米軍の住宅及び関連施設として利用されていましたが、2008年に閉鎖。
- 囲障区域外:こちらは国有地として利用。一部は1977年から1978年に横浜市へ譲渡され、また一部は1984年までに国有農地として耕作者に売り渡されました。
3. 地域の特徴と制限
この地域は、米軍施設としての使用期間中、約70年間にわたって土地利用が制限されてきました。特に農業専用地区でありながら、農業基盤の整備ができず、基本的な農業インフラすら整備されていませんでした。さらに、昭和35年の日米合同委員会で、周辺に電波障害防止地域を設定することが合意され、建築物や植物の栽培などに厳しい制限がかけられました。
4. 土地利用の再検討と将来の方針
2015年の返還後、地権者や市民の意見を取り入れながら、将来の土地利用を検討してきました。2017年11月には地権者による「旧上瀬谷通信施設まちづくり協議会」が設立され、土地利用の方針や考え方を「旧上瀬谷通信施設土地利用基本計画」としてまとめました。
旧上瀬谷通信施設地区の埋蔵文化財

瀬谷区と旭区に跨るこの地域には、「周知の埋蔵文化財包蔵地」として6箇所(瀬谷区)と3箇所(旭区)の重要な地点が存在していました。しかし、瀬谷区の2箇所はすでに存在しなくなっています。
- S04の別太羅塚古墳(円墳、Round Tomb): かつてこの地に存在した円墳で、米軍瀬谷通信隊基地の敷地内に位置していましたが、現在は破壊されてしまっています。
- S05: 宅地化の進行とともに、この地点も残念ながら破壊されてしまっています。
今後の対象事業地の施工計画によれば、大部分の地域は盛土施工が予定されています。この中で、切土工事範囲に該当するのはs04、S07、そしてA12のみです。
現地ではすでに発掘調査が一部で始動。現状、令和6年3月31日(予定)までの予定。発注者は、横浜市教育委員会事務局総務部生涯学習文化財課文化財係、施工者は公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団・睦合文化財株式会社。
KAMISEYA PARK 開発計画に関する詳細
旧上瀬谷通信施設地区(Old Kamiseya Communication Facility District)は、過去の産業活動により大きな役割を果たしてきました。その価値ある土地を再活用し、地域の新しい観光・賑わいの拠点として位置づけることを目的としています。KAMISEYA PARKは、この地域の新たな魅力を創出するためのプロジェクトであり、その主要な事業者として三菱地所株式会社(Mitsubishi Estate Co., Ltd.)が選定されました。
事業の核心 – テーマパークの概念
KAMISEYA PARKの主要なコンセプトは、世界に誇るジャパンコンテンツ(Japan Content)と最先端のジャパンテクノロジー(Japan Technology)を組み合わせた次世代型のテーマパークの提供です。これは、日本独自の文化や技術を活用して、国内外の来場者に新しい体験を提供することを目指しています。
施設の規模と特徴
- 敷地面積: 全体で約 706,500 m² の敷地に、テーマパークゾーンが514,000 m² という大規模な施設を展開。
- 開業時期: 令和 13 年(2031 年)を予定。
- 事業期間: 50 年以上の長期運営を視野に入れています。
- 目標来街者数: 開業後は年間1,200万人、段階的な拡大で1,500万人超を目指しています。
KAMISEYA PARKは、旧上瀬谷通信施設地区を再活用するというビジョンのもと、地域の新しい魅力を創出するためのプロジェクトです。ジャパンコンテンツとジャパンテクノロジーの融合を核に、多くの来街者を迎え入れ、地域の新たなランドマークとしての役割を果たすことが期待されています。(SNSでは、ポケモンランドやポケモンパークができるとの速も飛び出し、盛り上がっています!)
終わりに
旧上瀬谷通信施設地区は、その名前が示す通り、かつて通信施設として使用されていた特別な地域です。このエリアは、瀬谷区と旭区に跨る位置にあり、長い歴史の中でさまざまな変遷を経てきました。
まず、地域の歴史的背景を掘り下げると、ここには「周知の埋蔵文化財包蔵地」として9箇所の重要な地点が存在していました。これには、古墳や遺跡などの歴史的価値が高い場所が含まれています。特に、S04の別太羅塚古墳(円墳、Round Tomb)は、米軍瀬谷通信隊基地の敷地内にあったことで知られていますが、現在は破壊されてしまっています。また、他の地点も宅地化や施工の影響を受け、埋蔵文化財の一部が失われてしまっています。
このような背景を持つ地域が、新たなプロジェクト、KAMISEYA PARKの誕生を迎えることになりました。KAMISEYA PARKは、これまでの歴史や埋蔵文化財を尊重しながら、現代のニーズに応える施設やエリアとして開発される予定です。このプロジェクトは、地域の新しい価値を生み出すだけでなく、失われた文化財の記憶を次世代に伝える役割も果たすことが期待されています。
総じて、旧上瀬谷通信施設地区は、その歴史や文化の深さと、新たな発展の可能性を併せ持つ魅力的なエリアといえるでしょう。KAMISEYA PARKの成功は、埋蔵文化財の尊重と現代のニーズの融合にかかっており、これからの展開が大いに楽しみです。