インドの大地の下では、まだ誰も見たことのない古代都市が眠り、海の底では神話の都が静かに時を刻んでいます。2024年から2025年にかけて、考古学者たちは最新テクノロジーと冒険心を武器に、そんな「失われた世界」の扉を次々と開いてきました。ハリヤーナーの乾いた平野に現れた巨大な貯水槽、タミルの赤土に埋もれていた“世界最古級”の鉄器、そしてクリシュナ神の都を探すダイバーたちの息遣い……。現場から実験室、さらには海底へ。古代インドのリアルな息吹がほぼ毎日のようにアップデートされています。
本記事では、この1年余りの成果を一気に振り返りながら、遺跡・遺構・遺物が語る生々しい「古代インドの素顔」に迫ります。都市計画、海上交易、鉄の製錬、人びとのDNA――教科書の年表では想像もつかなかったドラマが、驚くほど立体的に浮かび上がってくるはずです。さあ、土と水と石が紡ぎ出すタイムトンネルへ。フィールドワーク気分で、新しい歴史の扉を開きましょう。
1.インダス文明遺跡:新発見が描く古代都市の実像
インダス文明(紀元前2600〜1900年頃)の主要都市遺跡では、近年いくつもの新たな発見が報告されました。特に注目を集めたのが、ハリヤーナー州ラーキーガリー(Rakhigarhi)遺跡で発見された 巨大な貯水施設 です 。2024年末の発掘調査で、ラーキーガリーの第3マウンドにおいて深さ約1メートル強(3.5〜4フィート)にもなる貯水槽が確認されました 。この貯水槽は、グジャラート州ドーラヴィーラー(Dholavira)遺跡の有名な貯水池に次ぐ規模とされ、従来この地では確認されていなかった高度な水管理システムの存在を示しています 。ラーキーガリーはかねてよりインダス文明最大級(モヘンジョダロの2倍近い約500ヘクタール)の都市中心地として知られていましたが 、今回の発見によって 成熟期・後期ハラッパー時代(紀元前3千年紀後半)の人々が乾燥化する河川環境に適応し、大規模な貯水と給水を行っていた可能性が裏付けられました 。実際、貯水槽が造られた背景には、同遺跡近くを流れていたとされる古代河川「サラスワティー川(現地ではドリシュダヴァティー川)」の流量減少があったと考えられています 。衛星リモートセンシングによる地質調査でも、ラーキーガリー遺跡から約400mの地点に枯れた古河道の跡が確認されており、これが貯水設備の必要性につながったようです 。このように、最新の調査は インダス文明の都市計画 の一端を具体的に描き出し、同時に古代インドにおける水資源管理の知恵を現代に伝えています。
インダス文明関連では他にも、多くのトピックスがあります。グジャラート州ロータル(Lothal)では、古代の港湾都市遺跡を活用した 国立海洋文化遺産博物館(NMHC)の建設計画が進行中です。第1期部分の完成予定は2025年で、2028年の全面開業を目指すこの大型プロジェクトでは、開発に合わせてASI(インド考古調査局)がロータル遺跡の追加発掘を行い、従来の約60〜70%まで遺跡を掘り下げて新たな出土品を収集していると報じられました 。ロータルは約4000年前に栄えた港町で、古代メソポタミアやエジプトとの交易で知られていますが、発掘調査の進展によって当時の 船着き場や倉庫、工房などの構造 がさらに解明されることが期待されます。また、このNMHC計画には国際協力も取り入れられており、ベトナムやポルトガル、UAE(アラブ首長国連邦)など海外の専門機関と連携して展示・研究を行う予定です 。インダス文明に関する関心はインド国内のみならず世界的にも高まっており、ロータル博物館は古代の海洋交易ネットワークを再現する拠点として注目されています。
さらに、グジャラート州のドーラヴィーラー遺跡(2021年に世界遺産登録)は、インダス文明都市の 高度な水利システム を今に伝える遺構として知られています。今回ラーキーガリーで見つかった貯水池は、「ドーラヴィーラーの巨大貯水槽に次ぐ規模」と形容されました 。こうした比較からも、インダス文明各地で水の確保・管理がいかに重視されていたかが伺えます。また、近年ではインダス文明の年代観にも修正が加えられつつあります。例えばハリヤーナー州のビルrana遺跡(Bhirrana)やファルマーナ遺跡(Farmana)での発見により、インダス文明の起源は従来考えられていた紀元前4000年頃より少なくとも2000年さかのぼる可能性が指摘されています 。つまり、紀元前6000年頃までその文化的源流が遡る可能性があるというのです。このように、インダス文明研究は 新発見によって歴史を書き換える段階 に入りつつあり、古代南アジア史の年表見直しにもつながっています 。
2.南インド発掘最前線:タミル地域の古代社会に光
インド南部、特にタミル・ナードゥ州では、過去数年間で 古代都市・集落の重要な発掘成果 が相次いでいます。その代表格がマドゥライ近郊の ケーラディ(Keeladi, Keezhadi)遺跡 です。ケーラディはサンガム時代(タミルの古典文学にいう紀元前後の時代)に属する集落遺跡で、2015年から継続的に発掘調査が行われてきました。最新の第10次調査(2024年6月開始)では、紀元前3世紀ごろ(約2600年前)のものとみられる テラコッタ(素焼き粘土)製のパイプライン が発掘され、当時の高度な水管理の一端が明らかになっています 。見つかったパイプは円筒形の管を6つ継ぎ合わせた構造で、全長約174cm・直径18cmほどの水路を形成していました 。この管は隣のトレンチ(発掘区画)へと延びており、当時の人々が生活用水や排水を一定方向に導く 排水設備(ドレイネージ) として利用していた可能性があります 。以前の調査でもケーラディでは開放水路や溜め池状の構造が見つかっており、今回のパイプライン発見は集落における 上下水道システム の存在をさらに裏付けるものです 。このような成果から、ケーラディ遺跡は約2600年前に 工業化も進んだ都市的集落(Vaigai川沿いに繁栄した交易・手工業の中心地)であったとの理解が深まりました 。
ケーラディ遺跡から出土した土器の破片には タミル語系の古代文字(タミル・ブラーフミー) が多く刻まれており、その数は第9次調査(2023年)までで2,000点以上にも上りました 。これらの墨書土器や落書き(Graffiti)の年代測定により、タミル文字の成立時期が紀元前7世紀頃(従来説より約100年さかのぼる)まで古くなる可能性も指摘されています 。実際、ケーラディからの考古資料は 「タミル文明は紀元前6世紀頃にはすでに都市文化を持っていた」 との見解を裏付けており、同州政府はインダス文明との比較研究にも着手しています 。ケーラディ遺跡の発見は、これまで北インドのインダス文明やガンジス文明に比べて記録が乏しかった南インドの古代史に光を当て、インド全体の歴史観を見直すきっかけともなっています。
南インドでは他にも注目すべき遺跡があります。タミル・ナードゥ州南部の アディチャナッルール(Adichanallur)遺跡 は、青銅器時代~初期鉄器時代(紀元前1000年紀前半)に属する大規模な土壙墓(つこうぼ、地面に穴を掘って壺などに遺体を納める墓)群で、19世紀から多くの人骨と副葬品が出土しています。この遺跡について近年大きく報じられたのは、鉄器時代の編年見直し につながる新たな年代測定結果です。2021〜2022年にタミル・ナードゥ州考古局が発表した報告によれば、アディチャナッルールおよび近隣のシヴァカライ(Sivakalai)遺跡で採取された有機試料の放射性炭素年代分析により、タミル地域での鉄器の使用・鉄精錬技術の萌芽が 紀元前3345年頃から2600年頃(今から約5300〜4600年前)にまでさかのぼる可能性が示されました 。これは、世界的に見ても最古級の鉄利用の証拠であり、従来考古学で知られていた南インドの鉄器文化(紀元前1000年紀以降)より飛躍的に年代が古いことになります 。もっとも、この画期的な主張については今後さらなる検証が必要ですが、仮に追認されればタミル文明が他地域に先駆けて鉄器時代に突入していた可能性も出てきます 。こうした成果にタミル・ナードゥ州政府も注目しており、「鉄の導入は人類文明にとって最も重要な技術革新の一つだが、その始まりがタミルの地にあった可能性が高い」という趣旨の声明を発表しています 。アディチャナッルール遺跡では他にも、人骨のDNA分析による古代人集団のルーツ解明が進められており、マドゥライ・カマラージ大学とハーバード大学の協力で数千年前の人骨から遺伝子情報を抽出する試みが続いています 。こうした自然科学の手法 も取り入れながら、南インドの先史文明像が塗り替えられつつあります。
さらに、タミル文学にもしばしば登場する プンポハル(Poompuhar) にも触れておきましょう。プンポハル(カーヴェリーパッタンナム)は古代チョーラ朝の港湾都市で、現在のタミル・ナードゥ州海岸沖にその遺構が沈んでいるとされています。古くから伝説的な「失われた都市」として語られてきましたが、2023年にはインド政府支援の下でリモートセンシング調査が行われ、驚くべき仮説が提起されました。それによると、海底地形と過去の海面変動の解析から、プンポハルの遺構は 今から15,000年前 まで遡る可能性があるというのです 。これは従来言われていた約2500年前(チョーラ朝時代)よりはるかに古く、世界最古級の「都市」となる年代です。調査チームは湾岸の海底で港湾跡や灯台と思われる構造物を確認したと報告しており、これらが最終氷期後の海面上昇期(約1.5万年前)の地形に対応すると主張しています 。例えば、水深50m付近の海底からは螺旋階段の跡を持つ塔状構造(灯台)や全長11kmに及ぶ防波堤の痕跡が探知されており、これらは後の有名な古代都市に匹敵する規模です 。もっとも、この説はあくまで海洋地質学的データに基づく推定であり、遺物の直接年代測定 はまだ行われていません 。今後、遠隔操作探査機(ROV)による映像撮影や海底堆積物のコア採取によって実証が試みられる予定です 。プンポハルの研究はロマンあふれるテーマであり、事実であれば南インド・サンガム伝説の舞台が一気に更新されることになりますが、現時点ではさらなる調査結果を待つ必要があるでしょう。
3.北インドの新発見:埋もれた歴史を掘り起こす
北インドでも、この2年間に古代の遺跡から多彩な発見がありました。とりわけ話題になったトピックスを3つご紹介します。
シナウリ(Sinauli)遺跡の戦車
ウッタル・プラデーシュ州のシナウリでは2018年頃に青銅器時代(紀元前2000年頃)のものとみられる 木製戦車 が遺体の埋葬施設とともに発掘され、大きな注目を集めました 。戦車は木製の車体に銅板などで補強がされた構造で、馬に牽引させる二輪馬車と推定されています。当初この発見は「インド最古の戦車遺構」としてインド史教科書を書き換える大発見となり、その後の詳細な分析でも王族・戦士階級の墓に副葬された「儀仗用の馬車」だった可能性が指摘されています 。これらの戦車や武具の存在は、古代インドにおける馬と車両技術、それに戦闘文化が 西方からの影響を受ける以前から自主的に発達していた 可能性を示唆するものとして、学術的にも社会的にも大きな議論を呼びました 。発掘された実物の戦車は保存処理を経て、2025年にはデリー国立博物館のハラッパー展示ギャラリーにおいて 約4000年前の馬車 として初めて一般公開される運びとなっています 。シナウリ遺跡は他にも複数の棺や人骨、副葬品を出土しており、こうした成果は古代北インドの埋葬習俗や社会階層を知る手がかりにもなっています。
アグローハ(Agroha)遺跡の再発掘
ハリヤーナー州ヒサール地区にあるアグローハ遺跡は、伝説的なアグラセン王の都と伝えられる場所で、かつて紀元前後~中世に繁栄した都市跡です。この遺跡では実に44年ぶりとなる本格的な発掘調査が2023~2025年に再開され、考古学者たちが 古代都市の構造 を改めて調べています 。2025年の調査では、約2ヶ月間にわたる粘り強い掘り下げの末、厚い瓦礫に覆われた地中から 大規模な煉瓦造りの基壇と壁 が出現しました 。発掘チームによれば、これは古代都市アグローハの建築遺構の一部で、当時の公共建造物か防御施設だった可能性があります。調査開始当初は土器片やテラコッタ製の小さな人形、石製の玉など断片的な出土品しか得られず苦戦しましたが、終了間際になってこの構造物が見つかり、現場は歓喜に包まれたといいます 。発見された壁は掘削範囲外へも延びているため、今後さらなる範囲の発掘や保全措置が検討されています 。アグローハ遺跡は現在、ハリヤーナー州とASIが提携して 文化観光回廊 の拠点とすべく開発が進められており、近隣のラーキーガリーやクルクシェートラなど他の歴史遺産と合わせた観光ルートに組み込む構想もあります 。長らく放置されていた遺跡に再びスポットライトを当て、新たな歴史的実態を掘り起こす動きとして、今回の再発掘は評価されています。
パトナ(旧パータリプトラ)での埋蔵構造探査
パトナ(旧パータリプトラ)での地下遺構構造探査 – ビハール州パトナは古代マウリヤ朝の都パータリプトラが存在した地ですが、都市化の進展で遺跡の多くは地中深く埋もれています。そこで2022年末から2023年にかけて、インド工科大学カーンプル校などの協力で 地中レーダー探査(GPR調査) がパトナ市内各所で実施され、古代都の遺構が地下に良好に残存している可能性を示す結果が得られました 。例えばグルザルバーグ地区の官営印刷工場敷地では、深さ1.5~2メートル付近で多数の壁状・建物状の反射が検出され、マウリヤ朝(紀元前4〜3世紀)からクシャーナ朝・グプタ朝(紀元後数世紀)にかけての 複数時代の建造物 が埋まっている可能性が高いと判明しました 。特に有名なアショーカ王時代の「八十本柱の大会堂(80-pillared hall)」跡も再確認が期待されており、考古学者らは一刻も早い発掘掘り起こしと保存の必要性を訴えています 。また、同調査ではベグム・キ・ハヴェリ(ベグムの館)や古い大学構内など複数地点で地下構造の兆候が捉えられ、現在の市街地の下に 古代パータリプトラの都市基盤 が広範囲に眠っていることを示唆しました 。実際、過去にはパトナ博物館の敷地造成中に紀元前後のレンガや土器が大量出土した例もあり 、今回のGPR成果を受けてビハール州当局は重点地点での考古学発掘を検討しています 。このように、最新技術を駆使した非破壊調査によって 古代都の見取り図 が浮かび上がりつつあり、近い将来パトナの地下から歴史的大発見が飛び出す可能性も十分にあります。

4.海に眠る歴史:海洋考古学の新展開
インドでは 海洋考古学 の分野でも大きな動きが見られます。先述のプンポハル調査もその一つですが、特に注目すべきはグジャラート州沖に沈む ドワールカ(Dwarka)遺跡 の再探査プロジェクトです。ドワールカはヒンドゥー教の神話でクリシュナ神の都とされる古代都市で、1980年代以降に海底から石造建造物や碇(いかり)などが見つかり話題となりました。それから長らく本格調査は途絶えていましたが、2024年に入り ASIの水中考古学部門(UAW)が約20年ぶりに調査を再開 しました 。このプロジェクトは水中考古の第一人者であるアローク・トリパティ教授の指揮の下、5名の考古学者チームが段階的な潜水調査を行うものです 。特筆すべきは、今回初めて女性考古学者がチームに加わった点です 。彼らはまずドワールカ近郊の ゴマティ河口付近の海底地形 を調査し、遺構が集中しそうな地点を割り出す作業から始めています 。既に浅海域のダイビングで手応えを得ており、今後は発見状況に応じて探索範囲や機材を拡充していく計画とのことです 。実際の調査風景はインド政府の広報によっても紹介され、スキューバ潜水するASIチームの姿や回収された遺物の点検作業が公開されています。調査許可はまず1年間とされていますが、この再開はインドの 水中文化遺産保護 に向けた画期的な一歩であり、古代ドワールカの実像に迫る鍵となるでしょう 。
海洋考古学では、インド政府主導の国際プロジェクト 「マウスム計画(Project Mausam)」 の進展も見逃せません。ヒンディー語やアラビア語で「季節(季節風)」を意味する名を持つこのプロジェクトは、インド洋沿岸の国々が古来から季節風を利用して結んできた文化・交易交流の歴史を解明しようという壮大な試みです 。2014年にインド文化省とASIが立ち上げ、現在インド洋に面する39か国との協働を視野に入れています 。具体的には、各国の沿岸に残る港湾遺跡や難破船などを共同調査し、海のシルクロード に相当するような交易ネットワークの全貌を記録・共有しようとするものです。また、関連する文化遺産をまとめてユネスコ世界遺産に 複数国共同で推薦 する構想も含まれています 。マウスム計画はインドの「インド太平洋でのソフトパワー戦略」として外交的にも注目されますが、その中核には歴史研究と文化遺産保護があります。この計画を通じてインドは周辺諸国(例えばスリランカやモルディブ、オマーン、インドネシアなど)と連携し、海洋考古学の調査隊派遣やトレーニング、資料展示の交換などを進めています。例えば、スリランカ沿岸の難破船調査 や ケニアの港湾遺跡発掘 などにもインドの専門家が関与し始めています。前述のロータル海洋博物館計画でも、ポルトガル・ベトナム・タイなど世界各国の海事史資料を一堂に集めるべくMoU(合意文書)が交わされており 、マウスム計画の理念に沿った国際交流の場となるでしょう。海に沈んだ遺跡 は国家の枠を超えた人類共通の財産です。インドの海洋考古学は今、その新しい舞台であるインド洋全域に乗り出そうとしています。
5.技術革新と考古学:遺構の保存・分析を支える最先端
最後に、考古学の現場を支える 技術革新 にも触れておきましょう。近年のインド考古学は、調査・分析・保存の各段階で最新テクノロジーを積極的に導入しています。例えば前述のパトナのケースでは、地中の埋蔵遺構を探るのに GPR(地中レーダー探査) が活用され、大規模な発掘をすることなく古代都市の遺跡分布を予測することに成功しました 。この非破壊的手法により、埋蔵文化財の存在を事前に把握してから計画的に掘り進めることが可能となり、遺構の保存と開発計画の両立にも寄与します。また、水中考古学でも マルチビーム音響測深(MBES) や サブボトムプロファイラー といった音波探査技術が導入されました。プンポハル沖では調査船による音響測深で海底地形の微細な起伏が描き出され、沈没した構造物らしき人工的形状を浮かび上がらせています 。これに加え、遠隔操作無人探査機(ROV)や水中ロボットカメラも試験投入されており、今後は人が潜れない深度での遺構撮影や試料採取も可能になる見込みです 。
地上の遺跡に目を転じると、3Dスキャン技術 や フォトグラメトリー(写真測量) も考古学者の有力な道具になっています。遺構や出土遺物をレーザースキャナーや高解像度カメラでデジタル記録し、三次元モデルとして保存・解析する手法です。例えばレンガ造り建造物が露出したアグローハ遺跡では、発掘直後にドローン撮影と3D再構築を行い、全容をデータ化した上で防水シートで仮保護する措置が取られました 。これにより、風雨による遺構の劣化を防ぎつつ、後からでも正確な形状測定や復元考察が可能となります。AI(人工知能) の活用も進みつつあります。インダス文字の解読には依然として多くの謎が残りますが、近年ではAIによるパターン認識で印章に刻まれた記号の並びを分析しようという試みが行われています 。機械学習アルゴリズムに大量の印章画像を学習させ、文字列の繰り返しパターンや構造を検出する研究が報告されており、完全な解読には至らないまでも未解読文字体系の特徴把握に役立っています 。インダス文字解読に関しては、タミル・ナードゥ州政府が賞金100万ドルを懸けた公募を発表したことも相まって 、AI研究者や言語学者の関心が再燃しています。さらに考古化学・古DNA分析の分野でもAIや高度な分析ソフトが活用され始め、土壌中の微量成分や遺物の組成データから人類の移動や貿易経路を推定する研究も進んでいます。
技術革新は 遺跡の保存 にも大きく貢献しています。インド国内の多くの遺跡で、劣化の著しい壁画や彫刻のデジタルアーカイブ化が行われ、損傷部分の バーチャル修復 にAIが用いられています。また、崩壊の危機にある構造物にはセンサーを取り付けて常時モニタリングし、3Dモデル上で応力解析を行って補強工事に役立てるといった取り組みも報告されています。こうした最先端技術の導入によって、「発掘する → 記録する → 保存する → 分析する」という考古学の一連のプロセスが飛躍的に効率化・高度化されているのです。
6.国境を越えて:文化遺産保護の国際協力
インド考古学のもう一つの特徴的トレンドは、国際協力による遺産保護と研究の推進 です。インド政府とASIは近年、周辺国をはじめ各国との文化遺産分野での連携を深めています。その一例が 東南アジアの仏教遺跡修復 です。ベトナム中部のミーソン聖域(世界遺産のチャンパ王国寺院群)では、2017~22年にかけてインドのASIチームが現地政府と協力して寺院塔の修復事業を完遂しました 。このプロジェクトではインド政府から225万ドルもの拠出がなされ、崩壊寸前だったレンガ造り祠堂が見事によみがえったことがベトナム側から「両国友好の象徴」と称賛されています。また、ミャンマーのバガン(これも世界遺産)でも、2016年の大地震で損傷した多数の仏塔の修復にインドが協力しました。2017年に結ばれた覚書に基づき、ASIはバガンの仏塔修復に約21クローネ(2億1千万ルピー、約3億数千万円)を投じ、2020年から本格的な復旧作業を行いました 。中でも著名なアーナンダ寺院の修復は2018年に完了し、その 歴史的忠実さと技術的完成度 が高く評価されています 。このように、インドは自国で培った 石造建築修復や考古保存のノウハウ を周辺国と共有しつつ、地域全体の文化遺産保全に貢献しています。

さらに、インドは 文化遺産外交 を積極展開しており、カンボジアのアンコール遺跡修復(1980年代からASIが関与)やラオスのワット・プー遺跡整備など、多くのプロジェクトを支援してきました 。2023年にはニューデリーでユネスコ世界遺産委員会第46回会合が開催され、モディ首相自ら「グローバルヘリテージの保存に向けたインドの決意」を表明するなど 、文化遺産保護は外交舞台でも重要なテーマとなっています。また、人材育成の面でも国際協力がみられます。ASIのインド古典学研究所や各地の博物館では、ミャンマーやベトナムの専門家を招いた研修や、逆にインドの若手考古学者が海外の発掘プロジェクトに参加するプログラムが実施されています。こうした交流により、最新の技術・知見が各国で共有され、より良い保存と研究が可能になるでしょう。
国を超えた文化遺産のつながりは、人々に 共通の歴史への認識 を芽生えさせます。例えばインドとベトナムの協力で蘇ったミーソン遺跡の塔は、両国にまたがる仏教文化の絆を再確認させました 。同様にインド洋を巡るマウスム計画は、多国間の歴史的交流が現代の国際協調の礎になりうることを示唆しています。考古学の成果は単に過去を解き明かすだけでなく、現在の私たちに 対話と協力の契機 も与えてくれるのです。インドは今、自国の豊かな遺産を世界に開きつつ、他国の遺跡にも手を差し伸べる「文化大国」としての役割を強めています。
おわりに
2024~2025年のインド考古学に関する主要な話題を概観しました。インダス文明からタミルの古代都市、海に沈んだ都や最新技術、そして国際協力まで、実に多彩な動きが見られます。これらはすべて、過去に生きた人々の営みを現代に蘇らせる努力の結晶です。発掘現場で泥まみれになりながら壺の欠片を磨く考古学者、最新機器を駆使して遺構を探る科学者、文化の架け橋となる国際チーム──そうした多くの人々の情熱によって、私たちは古代の歴史を より鮮やかに、より立体的に 知ることができるようになりました。遠い昔の遺跡や遺物が持つ物語に思いを馳せながら、今後も新たに解き明かされる歴史の1ページを楽しみに待ちたいと思います。