鎌倉市本庁舎等整備事業は、過去から現代へ、そして未来へとつながる都市開発の一例として、その複雑さと重要性を見事に示しています。このブログ記事では、文化遺産と都市開発がどのように交錯し、それがどのように市民の生活に影響を与えるかについて考察します。具体的には、2016年から始まった鎌倉市本庁舎の移転と整備のプロジェクトを通じて、都市計画、市民ニーズ、そして歴史的遺産という三つの観点から問題を探ります。これは、近代都市開発が直面する一般的な課題を具体的に理解する良いケーススタディとなります。では、一緒にこの旅を始めてみましょう。
鎌倉市本庁舎等整備事業

1. 鎌倉市の歴史と現状
鎌倉市は、中世の日本で武家政治の中心地となった都市で、鶴岡八幡宮などの多数の神社・仏閣が建設されました。これは、鎌倉が政治、文化、経済の中心地として栄えた証です。近代では、横須賀線の開通を機に観光地や保養地として人々の注目を集め、多くの文人が活躍する場となりました。これらの変遷を通じて、市民たちは自らまちづくりに関与してきたと言えます。現代の鎌倉市民も、この伝統と文化を大切にし、自らの力で未来を創造する姿勢を持ち続けています。
現在の市庁舎は50年以上も市政の中心として機能してきましたが、その位置と役割を再考し、新たなまちの中心として市民のつながりや活動を生み出す拠点となるように整備を進めています。
2. 新庁舎等の整備
現在の鎌倉市庁舎は築50年を経過し、老朽化が進んでいるため、北西に3kmほどの場所にある湘南深沢駅近くの行政施設用地に新たに整備することになりました。新しい市役所は、ユニバーサルデザイン(Universal Design)とバリアフリー(Barrier-free)に配慮した設計となり、全ての人が利用しやすい環境を提供します。さらに、市民利用スペースが拡大し、新たな交流の場として生まれ変わります。
3. 市庁舎現在地の利活用

現在の市庁舎が存在する場所は、行政サービスの機能を維持しつつ、中央図書館や生涯学習センターの一部機能を再整備します。民間機能も取り入れ、市民がより積極的に利用できるようにします。この地域は賑わいや憩いの場、交流の拠点として生まれ変わることが期待されています。
新たな交流の場は、『ひらいて むすんで 知恵うむ “ふみくら”』と名付けられました。“ふみくら”とは、古代の言葉で書物や資料を整理保管する建物を意味します。先人から受け継いだ情報や知識が開かれ、多様性の視点で人・物・事の交流が生まれる場となります。さらに、防災にも対応する学びと交流の拠点として整備されます。この“ふみくら”は、歴史・文化をつむぐ鎌倉の知識の蓄積の場となり、人々と情報の交流が結節し、次の世代に引き継がれる学びと共創の場として生まれ変わることが期待されています。
鎌倉市本庁舎の埋蔵文化財解説

1: 鎌倉市本庁舎の地理的位置と埋蔵文化財
鎌倉市本庁舎は、文化財保護法第93条第1項に定められる周知の埋蔵文化財包蔵地(the area known to contain buried cultural properties)に位置しています。具体的には、貝塚、古墳その他の埋蔵文化財を包蔵する土地として周知されている今小路西遺跡内に現在地が存在します。この地には、奈良・平安・中世の城館跡・都市遺跡があります。
2: 鎌倉市の歴史と地下文化財
鎌倉市は昭和46年度から地権者の協力のもと埋蔵文化財の本格的な発掘調査を行っています。しかし、昭和44年に整備された本庁舎については、発掘調査を行わずに、議会棟を除く部分や地下駐車場などは掘削し地下を利用しています。その後の分庁舎の建設においては、埋蔵文化財に影響を与えないように整備してきました。
3: 御成小学校の発掘調査と遺跡の発見
本庁舎の南側に隣接する御成小学校では、昭和59年から平成4年にかけての発掘調査で中世の都市遺構(武家屋敷及び居住地域など)とその下の古代の郡衙と推定される官衙施設遺構群が発見されました。発掘後、最終的に埋め戻し保存する形で改築工事が行われています。地盤の弾性係数を踏まえると即時沈下量は約2.5cm程度にとどまり、地下遺構面の破壊は考えられないため、この工法が採用されました。
4: 本庁舎の建替えと埋蔵文化財への影響

現在地での建替えを行う際には、すでに地下を利用している部分は未掘削部分を掘削せずに3階建以上の建物の整備が可能とされています。しかし、それ以外の部分で整備する場合、今小路西遺跡内の敷地であることを考え、埋蔵文化財包蔵地であることを踏まえた確認調査・事前発掘調査・遺跡保存等が必要となる可能性があります。その影響を避けるためには、御成小学校と同様に、マットスラブ上で最大でも2階建の高さの軽量の建築物とする必要があると推測されます。
5: 鎌倉市本庁舎の歴史的背景
本庁舎現在地は、奈良時代の鎌倉郡(現在の鎌倉市と逗子市のほぼ全域と横浜市の西部 と藤沢市の南東部)の役所(郡衙(ぐんが))の跡地が見つかっています。また、鎌倉時代の武家屋敷の跡も見つかっています。鎌倉幕府の終焉後、一時期市庁舎現在地周辺は田畑として利用されていましたが、その後鎌倉の別荘地、保養地としての利用が進み、鎌倉御用邸(明治天皇の皇女である富美宮、 泰宮の避寒のために造営された御用邸)として利用されていました。その後鎌倉町へ移管され、御成小学校、御成中学校として利用され、昭和44年から市庁舎として利用されています。
まとめ

この記事は、鎌倉市の本庁舎整備に関する歴史的な変遷と、その中で埋蔵文化財が果たす役割について説明しています。以下にその過程を総括します。
鎌倉市は2017年に『鎌倉市本庁舎整備方針』を策定し、新たな本庁舎の建設に向けた一歩を踏み出しました。この策定の前年である2016年には「本庁舎を移転して整備する」ことが決定され、2017年には『鎌倉市公的不動産利活用推進方針』を定め、移転先を深沢地域とすることが公表されました。
続く2018年は、市民対話や鎌倉市本庁舎等整備委員会を通じて、新庁舎のビジョンが共有されました。具体的な方向性が模索され、市民のニーズや社会情勢の変化に応じた庁舎像が浮かび上がりました。これを受けて、2019年7月に『鎌倉市本庁舎等整備基本構想』が策定され、基本理念を「市民のニーズや社会情勢の変化に応える本庁舎」と定めることとなりました。
しかし、計画は必ずしも順調には進まず、当初2025年の開庁を目指していたものの、2018年12月に深沢地域の都市計画決定が2021年に延期されたことから、事業計画全体が再評価されることとなりました。その結果、本庁舎の開庁は2028年に延期されることとなりました。
このような経緯を通じて、鎌倉市本庁舎整備事業は歴史的遺産の保全と都市開発の間でバランスを保つ重要な課題に直面しています。特に、現在の庁舎が存在する地域が「周知の埋蔵文化財包蔵地(known archaeological site)」であることは、この問題をさらに複雑化させています。これらの要素を十分に考慮しながら、適切な都市開発を進めることが鎌倉市には求められています。