本ブログ記事では、神宮外苑の再開発に伴い潜在的に必要となる埋蔵文化財の発掘調査について考察します。神宮外苑は、「江戸遺跡」の一部であり、その地には江戸時代から明治時代にかけての歴史と文化が眠っています。再開発に際し、適切な調査を行うことで地域の歴史的価値を高め、文化的遺産を保護することが可能となる一方、専門的な技術や時間が必要となります。今回の記事では、これらの課題について深堀りしていきます。
神宮外苑再開発事業
神宮外苑再開発事業は新宿区、港区、渋谷区にまたがる大規模な事業で、神宮球場や秩父宮ラグビー場の建て替え、高層ビルの建設、商業施設の設置などが計画されています。この事業は「気軽に訪れ楽しめるまちづくり」を目指しており、人々が行き交うモール型の回廊も作られる予定です。全体の整備は2036年に完了する予定で、総事業費は約3490億円となっています。

ただし、この再開発計画に対しては地域住民から「説明が足りない」などと不安の声が上がっています。特に、この事業は民間企業が主導し、行政は許認可を与える立場であるため、説明会の開催などは事業者に委ねられています。これまでに3回住民向けの説明会が開かれているものの、一部の住民は事業者に対してさらなる説明会の開催を求めており、そのために署名活動を行っています。
神宮外苑は法律上、都市計画公園に指定されていて開発が制限されていたが、2013年に都が公園の有効活用を目的として民間の力で整備、開発するための新制度を創設しました。この新制度が神宮外苑で適用され、高層ビルの建設が可能となりました。
専門家からは、公共の場を大きく変える開発に対して、行政や事業者からの住民への周知が足りていないとの指摘が出ています。特に、大きな計画が動いたときに人々の意見を反映させながら計画を進めるヨーロッパのシステムと比較し、日本のシステムは形式的で市民が置き去りにされているとの意見が出ています。
また、民間主導の公園の再開発や再整備は行政が推し進めている施策であり、都内では他にもいくつかの公園で同様の再整備計画があります。しかし、公益が損なわれないように、事業者の利益だけが優先されないように、住民の意見を聞き、合意形成を図る仕組みの必要性が指摘されています。
既に新国立競技場部分は発掘調査完了。

新国立競技場の建設に伴う発掘調査は、千駄ヶ谷北ノ脇遺跡と霞ヶ丘町遺跡という二つの重要な考古学的遺跡を明らかにしました。これらの遺跡は、新宿区と渋谷区にまたがり、古代から近代までの日本の歴史を物語るさまざまな遺物と構造を含んでいます。
千駄ヶ谷北ノ脇遺跡の調査では、主に縄文時代の土器と石器、そして中世から近世の陶磁器、金属製品、石製品などが発見されました。特に、渋谷川沿いの低地部分からの多数の縄文土器の出土は、この地域における縄文時代の人々の生活痕跡を示唆しています。さらに、自然流路と地震による地滑り痕跡の存在が明らかになったことは、この地域の自然環境が何千年も前の人々の生活にどのように影響を及ぼしていたかについて重要な発掘成果です。

一方、霞ヶ丘町遺跡では、縄文時代から近世にかけての多彩な遺物が見つかりました。特に注目すべきは、中世の鎌倉街道中道に相当する道路跡の検出と関所関連施設の確認であり、これらは中世の交通と地域社会の様子を浮かび上がらせます。近世では、土地利用の状況を示す区画施設が南半部の御先手組大縄地から確認され、北半部では旗本屋敷と境妙寺墓域、立法寺全域の調査が行なわれました。立法寺境内の建物配置や庭園の構成の変遷は遺物による時期区分とともに明らかにされました。これらの発見からは、近世における宗教施設の配置や庭園造成の仕方、社会構造、そしてそれらが時間とともにどのように変化したかについて理解することができます。
また、近代の水車小屋に関連する施設が発見されたことは、産業革命期の技術進歩と生活様式の変化を反映しており、これらの発見は日本の歴史のさまざまな側面を描き出しています。

これらの調査結果からは、新国立競技場整備事業地が縄文時代から近代に至るまでの豊かな文化的遺産を内包していることが明らかとなりました。それぞれの遺跡から出土した遺物や遺構は、古代の自然環境、中世の交通網、近世の社会組織、そして近代の産業技術の進歩など、日本の歴史と文化の多面的な側面を照らし出しています。
参考文献 公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2017 『東京都埋蔵文化財センター調査報告319:霞ヶ丘町遺跡・千駄ヶ谷北ノ脇遺跡』公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
今後の発掘調査に期待。

神宮外苑の再開発に向けて、周知の埋蔵文化財包蔵地に該当するため、埋蔵文化財の発掘調査が求められる可能性があります。この地は”江戸遺跡”と呼ばれる、江戸城に近く江戸時代の遺跡が集まる近世考古学の最重要エリアに位置しており、遺跡の保護と調査が開発に際して重要な課題となります。

神宮外苑地区は、江戸時代には「篠山藩青山家下屋敷」を始めとする大名の屋敷や旗本の武家屋敷、与力・同心の大縄地、寺院などが密集していました。また、「御焔硝蔵」(火薬庫)や「御鉄砲場」(鉄砲の練習場)といった幕府の施設も設けられていたのです。これらの建物や施設は、とても価値ある遺跡です。
明治時代に入ると、これらの屋敷跡は茶畑や「青山練兵場」などとして利用されました。これらは明治の都市開発や社会状況を反映しており、当時の生活や産業の姿を垣間見ることができます。

したがって、神宮外苑の再開発に伴う発掘調査は、地域の歴史や文化を探求するための重要な機会と言えます。得られた情報は、地域の歴史や文化をより深く理解し、保存するための基盤となります。また、発掘調査の結果は、その地域の歴史的価値を高め、地域の魅力を伝えるための一助となり得ます。
ただし、発掘調査は専門的な技術と時間を必要とするため、再開発計画自体に影響を及ぼす可能性もあります。事業者と地元コミュニティ、関係者すべてが協力し、共に地域の歴史と文化を尊重しながら発展を目指すことが求められます。